2011年7月2日土曜日

町制60周年記念式典  あいさつ(要旨)

東浦町は、明治39年に5か村が合併して東浦村が誕生し、34年目の昭和23年6月1日に町制施行をいたしました。町制施行時の人口は1万5千人余りで、産業の中心は、稲作と繊維産業の白木綿でした。その後、60年で町は大きく発展し、変わっていきました。
人口は、この5月末で4万9千641人に達しました。近年は自動車関連企業や、先端技術の液晶産業が進出し、今また、石浜地区に大規模な自動車関連工場の用地造成が急ピッチで進められています。商業においても、東浦町の表玄関とも言うべき緒川駅東の区画整理事業が順調に進んでいます。その地には、大型ショッピングセンターがオープンして7年になりますが、毎日大変な賑わいを見せています。
この60年の発展を振り返って見ますと、その根源は、昭和36年に完成した愛知用水をおいて他にないと、強く感じます。その愛知用水は、町制施行時の昭和23年に、すでに本町においても熱心な運動がなされていました。ちなみに、昭和23年8月14日付の役場から各地区に当てた文書の冒頭は、「愛知用水の議が各町村より旋風のように捲き起きました。この機を失しては再び好機をつかむことは出来ません」と始まり、「白米2升と毛布1枚を持参して、岐阜県の八百津町大仙寺での研修に出席されたい」とあり、その頃の意気込みをうかがい知ることが出来ます。改めて、先人たちの先見性と雄大な構想の実現への情熱に感嘆せざるを得ません。
私たちは、日々の生活はもとより、農業や工業などのすべての産業について、水を抜きにしては考えられません。東浦の歴史を紐解くと、先人たちが、水にどれほど苦労してきたかを窺い知ることが出来ます。その反面、昭和34年の伊勢湾台風、平成12年の東海豪雨など、いくつかの大きな水害にも見舞われ、懸命に克服してきました。私たちは、何よりも水を治めることの大切さを、身をもって教えられてきたのです。

さて、平成22年の国勢調査では、人口5万人を超え、東浦市誕生が現実味を帯びてきました。そこで、今年から市制準備室を設け、あわせて市制を見据えた第5次総合計画の策定作業に入りました。  
しかしながら、これからの日本の社会状況や経済環境は、今までに経験したことのない大きな変化が待ち受けています。また、世界的な地球温暖化の生活への影響は、目に見えてきています。私たち一人ひとりが何をできるのか、行政が何をどう取り組むのか、真剣に考えなければなりません。
そのひとつとして、石浜新池の周辺の15ヘクタールほどの里山を積極的に保存し、自然環境学習の森づくり事業に着手しました。
また、生物多様性条約の国際会議(COP10)が、ちょうど2年後に愛知県で開催されますので、強い関心を持ちたいと思います。

地球上の人口は爆発的に増加しつつあり、あわせて科学文明の世界的な広がりによって、エネルギー資源や食料は急激に需要が増大し、資源不足と価格の高騰に歯止めがかかりません。世界的な状況変化に加えて、わが国は人口の減少と高齢化、そして外国人の増加という大きな課題に直面し、新たな地域社会を構築していく必要に迫られています。

この60周年を機に、時代の変化を踏まえた新たなまちづくりに取り組み、この町に住む誰もが「住んでいてよかった」と誇れる町に、皆で力を合わせて行こうではありませんか。
平成20年6月10日



東浦町長 井村徳光  (平成20年6月19日)

町長メッセージ バックナンバー2008年6月19日より

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