2011年7月2日土曜日

於大公園建設への想い

於大公園内の蛭藻池と眼鏡橋
 「於大公園」の於大とは、徳川家康の生母の名です。於大の方は尾張と三河の国境に位置する東浦町緒川の城主 水野忠政の娘として生まれました。公園に水野家の菩提寺「宇宙山乾坤院」が隣接していることから、「於大公園」と名づけました。
 私が町長に就任したのは昭和54年の夏で、その当時の最大の課題は幹線道路を早く整備して、深刻な交通渋滞を解消することでした。そうした中で人口が急増している東浦町の将来のまちづくりに、都市公園の建設は欠かせないと思い、基本構想に着手し2期目のはじめ昭和59年3月に基本計画を策定することができました。その当時の町の人口は約3万7千人でした。議会との議論の中では、道路を優先すべきだ、との意見も強くありました。しかし道路とは、これだけ町民の世論が高まっていれば間違いなく整備されていく性質のものです。それに比べ公園の建設は強い意志をもって取り組まなければ、いつまで経ってもできるものではなく、また他の建造物と違って完成のときがスタートであり、それから20年、30年、50年と長い歳月をかけて樹木を育て、未来へ引き継ぐ町の宝物になるものです。都市化の進むまちに住む人たちの心の癒しの場であり、家族や地域の人たちの交流の場つくりですと、議会や住民の皆さんに公園の想いを説明し、賛同をいただき平成15年3月に完成しました。
 近年の高齢社会に対応して、明徳寺川の堤に八重桜を植え、保健センターから公園をつなぐ健康の道を作りました。幾つかのウォーキンググループができ、多くの人たちが毎日歩いているのをみて、そのコースの中に楽しく体の全身を使って軽運動のできる高齢者のための遊具があれば、もっと歩くことも公園にくることも楽しくなるのではないかと考えました。早速、近くの国立長寿医療センターと町内の大手家具メーカーに協力を求めましたところ、両者の共同開発ですばらしい健康遊具11点のセットが出来上がり、「優遊健康器具」と名づけて平成18年3月に公園に設置することができました。正しい利用の仕方の講習会や、教室を開き、普及に努めておりますが、近隣の市町からの愛用者もあって大変好評です。この遊具が加わったことで、於大公園は高齢者にとって新しい魅力が増えました。
 これからも、よく手入れにつとめ次世代に引き継いでいきたいと思っております。

木製遊具「優遊健康器具」









※社団法人 日本公園緑地協会発行 「公園緑地」Oct.2006 VOL.67.4 より再掲載


町長メッセージ バックナンバー(2006年12月14日)より

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