2011年7月2日土曜日

日伯交流100周年式典に石浜西小学校が出席

 1908年4月28日、781人の日本人を乗せた笠戸丸が神戸港から出航し、6月18日にブラジルのサントス港に着きました。それが日本人のブラジル移民の始まりで、今年がちょうど100周年にあたります。ブラジルに移り住んだ人たちの100年の歴史は、言葉では言い尽くせない苦難の歳月でありました。そして今、日系ブラジル人の2世、3世の人たちが職を求めて来日しております。東浦町にも大勢の方が家族で住み、その子どもたちは石浜西保育園、石浜西小学校に通い、日本の子どもたちと一緒に遊んだり、勉強しております。

 このたび、両陛下ならびに皇太子殿下のご臨席のもとに4月24日、東京で開催されます日伯交流100周年記念式典の中の記念行事に石浜西小学校の児童10名(うちブラジルの子5名)の参加要請を外務省からいただきました。当日は、日本語とポルトガル語で一人ひとりが、あるいは全員で呼びかけの言葉をいい、その中でブラジルの歌「アクアレーラ」をポルトガル語で歌います。子どもたちはそのリハーサルに余念がありませんが、子どもたちにとって生涯の思い出になることでしょう。子どもたちの呼びかけの言葉の原稿の中に、「ブラジルのおばあさんが富士山を見たいと言っていました」の一節がありますが、ブラジルに渡った人たちの日本への望郷の念はいかばかりかと心に沁みてまいります。

 今、日本には世界の各国から沢山の人たちが来て働き、学び、暮らしております。地域社会に不協和音もいろいろ出ておりますが、100年前にブラジルに移民した人たちのことを思うとき、これからの多文化共生の社会づくりは日本人の私たちの手で作っていかなければいけないと思います。
式典での子どもたち全員の最後の締めくくり「Equeremos ser um elo que o Brasil e Japao(そして、日本とブラジルの架け橋になりたい)」の言葉に恥じないような多文化共生の施策に取り組みたいと思います。


東浦町長 井村徳光  (平成20年4月15日)

町長メッセージ バックナンバー(2008年4月15日)より

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